さいたま市中央区で「路地裏マーケット」(さいたま市中央区鈴谷7)を運営する旅商人亮章さん、旅商人拓さんが、「災害臨時NPOチーム旅商人」として7月12日、今回の平成30年7月豪雨の被災地へ支援に出発した。
コーヒーの移動販売車で寝泊まりしながら日本各地を回っていた拓さんと、スケボーで写真を撮りながら旅していた亮章さんが出会い始まった同マーケットは、中央区にある元木材会社の倉庫で毎週日曜に行われる。さいたま市内、関東からのほか全国から集まる出店者は飲食、野菜、手作り小物、海外雑貨、マッサージ、似顔絵、投げ銭ライブなどさまざま。亮章さんと拓さんが旅先で知り合った人も多いという。
拓さんは、2011年の東日本大震災から、個人的に災害ボランティアを始め、同年の新潟福島豪雨災害(会津金山町)、紀伊半島大水害(那智勝浦)、2012年茨城県つくば市竜巻(北条地区)など大きな災害の度に駆け付けてきた。
2015年の関東・東北豪雨(常総市)からは、亮章さんが合流し「災害臨時NPOチーム旅商人」として活動を始めた。2016年北海道・岩手豪雨災害(宮古市、岩泉町)、2017年九州北部豪雨災害(東峰村・朝倉市)と、2人、あるいは単独で支援に向かった。
亮章さんは「僕たちは重機を動かせるわけでもないし、特別な能力があるわけでもないが、できるかぎり長期間活動できるのが強み。ボランティアセンターの運営の手伝いや、泥出し、コーヒーの炊き出しなどを状況に応じて行ってきた」と話す。
2人は、それぞれ寝泊まりもできるコーヒーの移動販売車を所有しており、支援も同車で向かう。亮章さんは「初期の被災地に実際に支援に行く場合は自己完結できる人ではないと難しいかもしれない。自分の食料、泊まる場所は自分で確保できると動きやすくなる」と話す。
「とはいえ、僕らが支援に行くと聞いて、『すごいね』『頑張ってね』と言っていただけるのはもちろんうれしいが、そこで終わらず、皆が自分事として感じて、何か行動を起こしてほしい」と呼び掛ける。「埼玉も災害に遭う可能性はある。僕は岡山出身で、岡山は晴れの国と言われていて、豪雨災害を受けるとは思わなかった」とも。
「支援は、現場で動くことだけではなく、支援金を寄付する、SNSなどで正しい情報を適切に拡散する、など後方支援も立派な支援。それがなくては成り立たない。どちらも同じくらい大事な支援なので、できることをできる範囲で活動することで充分助けになる」と繰り返し呼び掛ける。
今回は、亮章さんは出身地である倉敷市、拓さんは広島方面に向かうという。亮章さんは「倉敷市には18歳まで住んでいて今も実家がある。実家は直接は被災してはいないが、現地の仲間はすでに動き始めている。一刻も早く向かいたい」と話す。
「僕らは旅をする中で、多くの人にお世話になってきた。『恩おくり』としてその恩を他の人に送るなら、今、日本で最も困っている人たちに送りたい」とも。
支援金の受付、現場の様子、活動報告などは、亮章さんと拓さんのフェイスブックページで案内している。