「江戸から近代 銭湯事情 さいたまの銭湯いま・むかし」が2月14日、さいたま市立大宮図書館(さいたま市大宮区吉敷町1)で開かれた。
太宰治が通った大宮区大門の「松の湯」 30年前に町田忍さんが撮影
講師は、庶民文化研究所所長の町田忍さん。町田さんは40年ほど前から全国3800カ所以上の銭湯を訪ね歩いてきた。オーストラリア人の友人から「銭湯の建物が神社や寺に似ているのはなぜか」と質問されたことや、宮造りの古い銭湯の取り壊しを目撃したことがきっかけで、「銭湯を記録している人がいないのでは」と思い立ったという。インターネットのない時代に各地の電話帳(イエローページ)で銭湯を調べて訪問した。「銭湯を撮影していると地上げ屋に間違われるため、アルバムを見せて現地の人に理解してもらった」と苦労を語る。
全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(全浴連)によると、組合に加入していた銭湯数は最盛期の1968(昭和43)年には1万7999軒だったが、2025年には1562軒まで減少している(全浴連調べ)。さいたま市内では昨年3月末で大宮区の「日進湯」が閉業し、現在は8軒のみが営業している。町田さんは、古い幻灯機(スライド)で自ら撮影したフィルムを投影しながら、講義を進めた。
約30年前に町田さんが撮影した大宮の「松の湯」のフィルムが映し出されると、参加者からは「懐かしい」との声が上がった。松の湯は現在の大宮区大門町にあった銭湯で、太宰治が1948(昭和23)年に「人間失格」の執筆で大宮に滞在していた際に通っていたという。「内装には九谷焼のタイルが使われていた」と町田さんは話す。
質問コーナーでは、鈴の湯(中央区本町東)の壁に残る「石ケン渡シ」の穴についての質問に対し、町田さんは「昔は全国の銭湯にあった。せっけんが貴重だった時代に、男湯と女湯の間で貸し借りしていた名残」と回答。銭湯の建築、風俗、浮世絵、ペンキ絵、道具など多岐にわたる内容に、参加者は楽しそうにうなずいていた。さいたま市浦和区から参加した女性は「2日に1度は銭湯に行くほど好き。貴重な資料が見られて良かった」と話していた。
町田さんは「ネットで自分好みの銭湯を見つけ、マイ銭湯で浮世の垢(あか)を落としてほしい。行くことで良さが分かるはず」と話す。同館企画・広報の大石春奈さんは「市内には昔ながらの雰囲気のあるスポットがまだ残っている。地域の魅力を、住民や若い世代に知ってもらえるような企画を今後もしていきたい」と意欲を見せる。