荒川にあった渡し場に伝わる徳川家康伝説を再現した「昼間ノ渡シ火まつり」が11月3日、さいたま市西区のびん沼川で開催された。
徳川家康が、村人に礼を述べ、土地と名字を授ける様子(関連画像)
「昼間ノ渡シ場跡」は、西区飯田新田にある、荒川(現・びん沼川)の渡し場跡の一つ。地域に伝わる伝説で、徳川家康が関東入国直後の1591年に、川越から岩槻に向かう途中、北条氏の残党に追われ、夜中に荒川を渡る「渡し場」にたどり着いたとき、付近の村人たちが総出でかがり火をたいてこれを迎えた。まるで昼間のように明るかったことから、家康が渡し守に「昼間」の名字と土地を与えたといわれている。
近代になって渡し場は長らく途絶えていたが、2007(平成19)年に地域住民の手により渡し場跡が整備されたことをきっかけに、毎年11月3日に「昼間ノ渡シ火まつり」が開催。地域のさまざまな団体が出し物を演じるほか、屋台などが並ぶ。クライマックスは、かがり火の中、家康が船に乗って渡る場面の再現。拍手で迎えられた家康が、地域の住民に土地と「昼間」の名字を授ける口上を述べると、参加者からは拍手が湧いた。
今年の家康役を務めた、地元小学校の教頭先生は「こうした役をやらせていただけるのは、光栄。地域ならではの伝統を受け継ぐイベントは、子どもたちにとっても、とてもよい経験になったのではないか」と話す。家康姿の教頭の周りには、多くの子どもたちが記念撮影に訪れていた。