「旧坂東家住宅見沼くらしっく館」(さいたま市見沼区片柳)が1996(平成8)年4月の開館から数えて30周年を迎え、4月16日・19日の2日間、記念講座で旧坂東家の詳細ガイドが行われた。
同館は、江戸時代の加田屋新田(かたやしんでん)の名主を代々務め、旧片柳村の村長だった坂東家の旧宅を復元した博物館。敷地の北側には屋敷林から斜面林が続き、東側には加田屋新田が広がる自然豊かな環境に囲まれている。2010(平成22)年に景観法で「さいたま市景観重要建造物指定第1号」に指定された館内を、同館指導員の豊田和夫さんが案内した。
坂東家は紀州(和歌山県)出身で、江戸時代に日本橋で商人となり、後に見沼の新田開発に携わり、名主と見沼代用水の見回りを命ぜられ、幕末まで継承してきた。坂東家が開発した新田は65ヘクタール(東京ドーム14個分)に及んだという。旧宅を復元する前に解体と調査を行った。長者柱(ちょうじゃばしら)のほぞ穴から墨書きが発見され、この家が1857年、10代目の助次郎(すけじろう)の時の建築と判明。助次郎が寝ていた部屋の押し入れの床下から信楽焼の土瓶が出土し、「一分銀(いちぶぎん)」400枚が発見された。
豊田さんは「一分銀は、安政年間(1850年代)に日本各地で大地震が連発したため、家が損壊した時の備えとして助次郎がためていたのかもしれない。秘密にしていたのか、子孫には何も伝えられておらず、発見当時は大きなニュースになった」と話す。
旧坂東家には家人が出入りする「大戸(おおど)」とは別に、代官などの賓客(ひんきゃく)が利用する「式台(しきだい)」という正式な玄関や客間、客用の厠(かわや)、湯殿を設けている。屋根の上の「箱棟(はこむね)」やかやぶき屋根の周りに瓦が巡らせてあるのも「名主の家の特徴」だという。「日本家屋は奥に行くほど部屋の格式が高くなる。欄間や天井の材、くぎ隠しや畳の敷き方で部屋の格が分かる」と豊田さんは解説し、参加者は熱心にうなずいていた。
解体前の1992(平成4)年まで、この屋敷に住んでいたという坂東家の子孫は「子どもの頃は学校から帰ると風呂の湯を沸かすために、まきをくべながらテレビを見るのが楽しかった。加田屋新田に水が入るとキラキラと光り、涼しい風が屋敷の方まで吹き抜けて、エアコンなどがなくても涼しかったのを思い出す。屋敷の中は暗くて、庭は木々がうっそうと茂っていた」と懐かしんだ。
開館時間は9時~16時半。月曜休館。入館無料。